社会基盤の近代化が繁華地区に与えた影響に関する研究
−両大戦間期の東京市神田区須田町・小川町の変容に着目して−

森田 曉
指導:宇於崎勝也准教授
  千代田区神田須田町および神田小川町は、明治中期から関東大震災までの間、東京市内有数の繁華地区であった。須田町交差点は、万世橋広場、旅館街、神田市場(青果物)、柳原古着市場に囲まれ、多くの市電路線が経由する都内有数の交通の要衝であった。小川町は大手町官庁街と神田学生街をつないだ。大正に入って東京のスプロール化がはじまり、市電は公共交通機関としての機能を果たしきれなくなる。関東大震災後の帝都復興都市計画の実施により、道路網が大きく変えられることも相まって、須田町と小川町はいずれも繁華地区としての性格を失っていった。「市区改正委員会議事録」「都市公論」など都市計画資料から、地区衰退の複合的な要因について明らかにした。
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